評論に値しない作品なんだろうけど、最後まで時間を忘れて観続けさせてくれたので。敬意を表して。
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あたりまえだけど、映画には文法がある。
文法という表現が堅いなら、
観てもらってるお客様と、見せてる表現者(監督)の約束。
媒介変数が演者・スタッフ・制作会社・配給会社・小屋のオーナー。
つまり、席亭が
「今回こんな落語会ですから、こんな腹積もりでみにきてください。」
みたいなもの。
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監督が奇をてらって、変化球を投げてきても、文法と文体さえしっかりしてれば客は受け止める。
また、受け止める度量も客はもってる。
例)ディズニー映画の子どもに、いきなり 『気狂いピエロ』 はあり得ない。
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講釈が長くなった。
『グレイトフルデッド』そんな作品。
監督の勘違いに早く気付かせてあげたほうがいい。
この作品程度で、昨今の映画界で生き抜くのは無理。
来年あたり
「・っっ・なんで、俺の作品を・理解出来ないんだろう。」とぐずってる。
ぐずってる場所が、四国か北陸あたりの深夜ファミレスだから、なおみっともない。
東京のアパートの家賃が払えない。
この監督が誰かは知らないが、3年後作品を残せるわけがない。
私の映画審美眼はおおむねあたる。
不敵。
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最近私の映画評論は冴えてる。
冴えるはず。ようやく、冬至を越えた(喜)。私の月齢は、今後半年上るだけ。