己の困った部分に呆れることがある。反省・自省と言ってもいい。齢40も過ぎたころの大人なら誰でも、気付く。気付かないならそれに越したことはないけど、ボウヤ扱いされる。
「反省だけなら猿でもできる。」といったキャッチがある。
反省する自分のことを【エス】と表現する。客観視している主観。
難しいけどいい表現が浮かばない。
【反省している自分】をホントの己≒エスは好んでいる。
具体的に言うなら。
私はいつも探し物をしている。
時間がもったいないと思うけど、いつも何かを探してる。
ホントの私は【モノ探し】がとても好き。
だから、いつの間にか好んで置き場所を忘れるようにしている。
自分の反省点を見つけることが出来るなら、実はホントの自分はその反省点を好んでいる。
こういう考え方は、とても恐ろしい。私の知らない自分。
これを描いた文学作品・映画作品はあまたある。
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また、今夜もモノを探してる。
仕方がない、ホントの私がそうさせている。
嫉妬深くて困ってる人。
何かしらに怒ってる人。
悲観的になる人。
他人の感情が理解出来ない人。
他人の意見に乗る人。
他人を支配したい人。
すぐにいじける人。
等々
そう言う人は、ホントの自分がその業を好んでいる。と考えると見事に解ける。
業を肯定する。ここに落語の真髄があると某師匠は喝破した。
映画『ドグラ・マグラ』を観る時、ホントの私で観ると・・・、ちょっと怖いけど。解ける。
あの役は枝雀師匠だから、演れた。
ホンネタ作品を読み解くのは、常識人では無理だと思う。