Aちゃんが転んでコップを割った。
教室中が、転んだAちゃんの周りに円を作る。
一人で転んで割ったのなら、そのまま立ち上がればいいのだが、持っていきようのない恥ずかしさに泣きだす。Aちゃん。
一段落して治まった教室で、B君が同じく転んでコップを割る。
教室中がまた輪になってB君を取り囲む。
どうしていいか解らないB君。
--------
このシーンでどのような教訓を子どもたちにメッセージとして送る?
教育現場での演習。
教師の立場として、
「気を着けて行動するように。」は素人。
ここは
「Aちゃんが転んだ時のB君。」
「B君が転んだときのAちゃん。」
お互いの行動を振り返らせたい。
自分が第三者だった時、周りで物見高く、見物する側に立っている。
ここがポイント。見物する側と見物される側。ここに心理的暴力が隠されている。
----------
囃したてる側は絶対的な優位にいる。
また、匿名性で自分の立場を隠してる。
見物される側は、照れ笑いか、泣くか、開き直るしかない。
E先生は、B君が転んだ時見物していたAちゃんを叱責する。
「さっき、見られて泣いた人が、人の失敗を見ない!」
=====
無自覚な傍観者ほどやっかいなモノはない。
無自覚に、ワイドショーや週刊誌に耽溺している大人。
ネットやソーシャルの情報に群がる匿名連中。
子どもに、見物される側にも無自覚な傍観者にもさせない。
性的被害者にも性的加害者にもさせない。
教育実践が施行されている。
本日のクオリティは高かった。
========
で、ワイドショーは明日も続く。依存症。