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私が「道徳」を認めないわけ

 誰彼の言葉を羅列しても、独創性がない。
 単純に、オリジナルな意見として。

 ① カンニングした事のない大学生はない。(異論なし)
 ② 道徳を推進する者に、大学卒業資格を持たない者はない。(異論なし)
 ③ カンニングをするものは、正義ではない。(異論なし)

 最も説明しやすい三段論法。
 全部否定文だが、この論を否定できる者はない。
 最高等学問を受けたものが全員肯定するしかない。

 つまり指導者は、指導される者(子どもたち)を指導(飼育)されやすいものとして育てようと意図している。と勘ぐられてもしょうがない。

 もう少し掘り下げて、教育史学として見つめるなら、教育は中世の民衆支配、に源流がある。
 暗黒・無知な愚民を支配すると言った啓蒙支配の一方策。

 シチズン・町人・大衆・被支配者・選挙民をバカにしている。

 だから、私は道徳を認めない。

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 江戸小咄
 性の快楽を知ったお姫様。
 「このような心地よい技を町人衆も行っているのか?」
 「御意。」
 「それはちと贅沢であろう。」

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 こういった江戸小咄の背景を読み解く必要がある。
 支配者を逆に笑っている。
 
 性を不道徳とした支配者の側面。

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 で、筆者己の不道徳を肯定しようとする。
 それでいい。落語を肯定しているから。

 凄い論の立て方。それが落語の深淵。

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2014年01月11日 21:25に投稿されたエントリーのページです。

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