自分の嗜好対象が浅い時期は、先人の評価・評論を参考にすればいい。
自立するころは、そうそう他人の下駄を履いて背伸びもしていられない。
先人の下駄を履いて、現場をうろついても、先人(例えば小林秀雄)の論壇に立っての物言いとしかとられない。
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小〇氏だとか、〇藤氏だとか、興津〇の評論をおろそかにするつもりはない。
ただ、同じこと言ってたって進まない。
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文芸評論の怪しさは、科学論文の比ではない。
そこにサブカルやオカルトが入りこむから暗渠に入り込む。
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ここの構造が『学問』。
「『学問』ってのは、最高の【娯楽】だろ?」
談志師匠のワンフレーズ。全くその通り。
ただ、学士、修士、博士連中は嫌がる。
自分達の地位が、一般人・芸人や芸人と同レベルで語られるから。
地位がぐらつく。
素人とプロの境界がぼやける。
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未就労の学士・修士・博士(准教授・教授の職にありつけないエリート)がごろごろしている時代。
アカデミックな分野でもプロアマの境界・地位がぐらついている。
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鑑賞眼のプロを評論家と思ったら大間違い。
鑑賞眼保持者のプロはいない。
(先代)林家三平を認めなかった、某落語評論家を知ってる。今は語らない。