扇遊師匠に聴かせていただいた『百年目』旦那。
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旦那以外にも登場人物はいろいろ出てくる。
番頭、手代、丁稚、芸者、幇間、等々。
これらのヒト々を演じろと言われれば、出来ないことはない。もちろん素人レベルだけど。
ところが、旦那だけは、どうしても出来ない。
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覚えて、しゃべるだけなら誰にでもできる。
ところが落語を演じるということは、全く違う世界。
演(ヤ)ればいいってもんじゃない。
旦那のふところというか、了見というか、腹はそうそう演れるものじゃない。
経験や芸歴や年齢がそこににじみ出てくる。
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学生落語会に行くと、学生がとんでもないネタを、演ってるつもりになっている。
「どうだ!『立ち切れ』『文七元結』演ッたゾ。」の顔。
客は45分間地獄を観る。
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扇遊師匠の『百年目』のあの空間。
粗忽家勘朝の、素人にすれば結構長い落語生活、忘れられない時空だった。
頸筋に白刃を当てられたような。ゾクリとする瞬間。
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落語を演じるのがとても不遜だと思い知らされた。
でも、天狗連は、これに負けちゃいけないん・・・ダヨネ。
恐ろしい矛盾。