« 読み聞かせ | メイン | 打ち上げにて »

就業学習

 いつの頃からか、「仕事を学ぶ」という名目で、労に関する学習が中学校で流行ってきた。

 労働は、多岐にわたる分野に渡っている。実に守備範囲は広い。
 嗜好、権利、生存権、人生の価値でもあれば、生きる本能、能力、にもかかわる、そして、意識、意欲、深いところではイデオロギーまで繋がってる。

 それを、たかが教育分野の総合学習カで、十把ひとからげのカリキュラムで、就労体験させていいものか。
 かなり疑問がある。
 中等教育の教師で、そこまで考えてる者はあまりいない(と思う)。
 学力は塾に期待されている。困ったもの。

  ------------------

 子どもの、就労に関する啓発書に『13歳のハローワーク』(村上龍著)がある。
 これは、かなり深く追究している。

 職業がこれだけ多岐に浸透しているのかと驚かされる。大人が読んでも面白い。

 ざっとその職業を俯瞰すると、誰でも出来る仕事と、誰もが出来ない仕事にわかれる。
 で『13ハロー』では、
 「誰もが出来ない仕事に就きたければ、就労するためのスキルでわが身にプロテクト(職能武装)する必要がある。」
 と説いている。

 例えば、食品・食事を提供するためには、食品衛生法をクリヤーするための免許の数々が必要になる。
 また、道一本作るためには土木・建設工事の免許(また、これがややこしい。道を掘削する、固める、舗装する、運搬する、設計・設営する。全部免許が違う。)
 難易度が高い免許ほど報酬は高い。これは当然。社会矛盾はない。
 あらゆる行政のプロテクトがかかってる。

 商品販売も、夢の販売も同じ。


 それを、労働価値は同じとしてティーンエイジャーを振り分けるのは無理がある。

 この学習の学習効果はあまりない(と思う)。
 職場への体験学習に免許が必要な職場へは出せない。

 ところが、医療現場へは出さないのに、介護福祉現場へは出す。
 幼稚園・小学校へは出すのに、中学校・高等学校・大学へは出さない。
 飲食店へは出すのに、歓楽街へは出さない。
 そこに基準があるのは理解できるが、就労に基準があるのか。
 結構矛盾がある。

 で、無理が生じる。 
 

  ============

 『13歳のハローワーク』が名著なのは、あらゆる職業の可能性まで突いてるところ。
 風俗業も範疇に治めてる。

 公教育に、風俗業へ就労体験させる度胸はない。世の中がひっくり返る。

 でも、そこまでひっくるめて周ってるのが世間。

 落語が凄いのはそこまで括(くく)ってる。
 落語はスゴイ。(今日言いたかったのは、ココ。) 

About

2012年07月04日 18:34に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「読み聞かせ」です。

次の投稿は「打ち上げにて」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.32