二人会がすぐそこに迫ってきている。
平治師匠が、平治の名前で福岡に出るのはおそらく最後(だと思う。)。
次見えられるのは文治になってから。
つくづく考えるのは、文治という名前の大きさ。
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文治の看板を背負って、果たして内浜落語会で興業出来るだろうかと心配していた。
昨年平治師匠に
「文治襲名は是非ウチで。」と申し出てはいた。内浜落語会で重責を果たせるか心配してた。
で、大手が持ってった(苦笑)。
文治の名前はやはり、あまりに大きかった。想像以上に大きかった。
で、文治襲名披露は大手興行会社の手に。
文治襲名 福岡講演が盛大にとり行われることは目出度い。
内浜落語会が集めることが出来ない数のお客様がお見えになることは間違いない。
これはありがたい。
あたりまえだけど、メジャーに内浜落語会はまだ敵(かな)わない。
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粗忽家勘朝が、7社会や行政、大企業、オリンピック嫌いなのはここに原点がある。
蟷螂の斧。こそが粗忽家勘朝の真髄。