で、性を決めるもう一つの、Y軸。社会的な性の決定。
これは、『ジェンダー論』とも絡んでくるので、結構複雑な展開になる。
性と言うのはかなりパーソナルな問題なので、普遍性という考えでは割り切れない。
もちろん、2極論で割り切れるはずがない。
PH(ペーハー)の基準に似ている。
7を境界として、1~14で基準を決めてる、酸性・中性・アルカリ性というあれ。
性の考え方はアレに似ている。
強♂性、弱♂性、♂♀性、弱♀性、強♀性。
シスターボーイ、だとか、ボーイッシュと表現されている、弱性性もある。
つまり、♂♀性と言うのはグラディエーションがかかってる。
どの程度かかってるかが、パーソナル。
【仮説】性行為は中和だとするならば。強♂は強♀と相性がいい。
仮説検証実験は、人権問題にかかわるから、ちょっと出来ないけど、世の中の円満な男女関係はかなり、この仮説に適合してる(と思う)。
強♀と弱♂でも、中性と弱♂でも上手くいかない。
ただし、上手くいかなくても【家族制度】という枠で括って来たから、表面上は崩れてない。
家族制度の中で、男らしさだとか、女としてだとかいう後天的な性別を纏足のように補強してきた。
女性も男性も、個に帰って眼が覚めたら、ぎくしゃくしてきた。
X軸の【解剖学的性別】と、Y軸の【社会学的性別】は概ね相関関係があるが、異なった性別を持ってる方が、想像以上にいる(はず)。
カミングアウトしてる方々はほんの一部。
大和文化はグラディエーションがかかった文化だったが、明治になって列強文化をよしとしてから、おかしくなってきた。
『二極論』もその時入って来た。【+-】【SN】【♂♀】[【善悪】【白黒】【貧富】という奴。ちょっと前【勝ち組・負け組】という嫌~な言葉も出てきた。
19~20世紀になって、DNAの発見、中性子の発見、素粒子の発見、磁気の発見で二極論がおかしくなってきた。
ただし、【二極論】も、その後の二極論を覆す発見も、多くがアングロサクソンがやったことなんだけど。(中性子の発見はかろうじて日本人。)
オリエンタル文明は、究明はしなくても、伝統としてグラディエーション文化を育んできていた。
最後に。
『酢豆腐』の若旦那。彼の存在は江戸時代から三〇〇年間続いてきた。
ものの見事に、彼の性別にグラディエーションがかかってる。
落語は、性に関して二極論で語れないことに、気付いていた。300年前から。
だから、落語は人間の業を肯定している。
そう簡単に雌雄を決することはできない。
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この考え方は、オリジナルですが、著作権フリーです。どうぞ事例をたくさん集めて、『ネイチャー』に報告してください。もうすでに発表されている可能性も高いです。
出典に【勘朝日記】と書いてくださったら幸いです(笑)。