内浜落語会の屋台骨を支えているのは『商店街寄席』。間違いない。
でも、その骨を動かしている筋肉は、『稽古会』。これも間違いない。
両輪で回っている。
稽古会で、それぞれが上手くなる。自分が上手くなる時と、他の連中が上手くなる時がある。
一人が上手くなる時、周りがそれぞれの見方で支える。。
誰かが突然、上手くなる。タイミングは千差万別。
稽古会では、皆で意図せずに、誰か一人を上手くなるように手ほどきする。時にはあまりに手厳しい意見で打ちのめされる。それを越えて、自分で噺を見直す。演じ方を工夫する。
『商店街寄席』で結果を出した時は全員の財産として喜ぶ。不思議な感覚。
今回自分が上手になったら、次は他の連中を上手くしていく。
自分がうまくなったら、次に上手くなるもののために、稽古会に顔を出す。自分の稽古は出来なくても、次の高座に上がる者のために稽古会に参加する。稽古会とは、そういうもの。
自分のネタだけ磨きをかけるのが、稽古会ではない。
お客様の前でしくじるより、妙法寺でしくじった方がいい。そこが稽古会の面白いところ。
≪けなされる 甘棠館で ほめられる≫ 駄句
(妙法寺でボロクソいわれて、商店街寄席のあと、甘棠館反省会で、「よかったんじゃない。」といわれる。)
こういった屈折した心情を感じてるとき、すでに人生が狂い始めている。危険な前兆。
そうなる前に足洗った方がいい。
まだ、間に合う。
知らなきゃ、知らないですむ。落語にハマるとはそういうこと。