なんとひどい諺だろうと思ってた。
ところが、どうも解釈が違ったらしい。
今回の紳助騒動を傍観していて、『おぼれた犬は叩け』状態で、
「マスコミのいつもの手段だなぁ。」と思ってた。
江副の時も、堀江の時も、鈴木宗夫の時も、孫の時も(敬称略)いつだって、構造は同じ。時代の寵児を、片方の手で持ち上げるだけ持ち上げておいて、もう片方でイッキに落として、徹底的に叩く。
その落差がある方が、新聞・週刊誌は売れる。視聴率は上がる。
情報屋は、情報が売れたが勝ちと信じてる。
西日本新聞から3カ月に2度取材を受けた事がある。全く別の記者から。
一つは、粗忽家勘朝を、地域文化振興の担い手として。文化部記者。
今一つは、粗忽家勘朝が、影で儲けているらしい、怪しからん奴として。地域社会部記者。
二人の記者は、同じものを取材していることを、お互い全く知らなかった。
すべての新聞社に匿名メールで【怪しからん奴】のタレこみがあったらしい。ついでに教育委員会にも。毛バリにかかったのはN新聞だけ。
ローカルで無名な小市民でさえ、こんな風だから、絶頂の紳助は大変だろう。
ジャーナリズムが、不正・アンフェア・社会悪・腐敗を白日のもとに引きずり出すのは当然。
だが、マスコミが記事さえ売れればいいと、愚かな記事ばかり発信してるのは、ジャーナリズムではない。
イギリスのタブロイドゴシップ新聞と同じ。九スポの記事で、真実は日にちだけ。九スポにジャーナリズムを期待している者はいない。
紳助のような木端(こっぱ)記事はどうでもいいから、フクシマ、東電、保安院へ足運べって。現場に行くから真実が見えるはず。それを記事にすればいい。例え売れなくても。
別に紳助を擁護しているわけじゃないけど。
紳助はどうでもいい。
フクシマの記事がなくなりつつある。毎日放射能出し続けているのに。
話がずれた。
『おぼれた犬を叩け』だった。続く。