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炸裂

 勘尺が作った上方落語会のビラ・ポスターを見た時から、何だか嫌な予感がしていた。あまりに人目を引く出来だった。


 日本の文化芸術の中心は、誰もが江戸・東京と認めている。異論はない
 ただ、これは近視眼的であって、鳥瞰すると違う風景が見える。

 日本の歴史をざっと2600年と見るなら、文化の中心はほとんどが上方。これも異論はない。
 江戸東京が上方を越えたのは、高々ここ300年でしかない。相撲も歌舞伎も落語も、上方と江戸があった。

 江戸文化は、多くが上方をお手本として熟成されてきた。

 ガラリ、今回の商店街寄席。江戸落語に足場を置いている粗忽家勘朝の根っこを揺さぶった。
 まさに上方落語炸裂。どかんどかん受ける。驚いた。

 
 お客様は、小賢(こざか)しいことを抜きにして、笑いに来ている、理屈は要らない。そのために貴重な時間を割いて、交通費を自前で、木戸銭も払ってお越しになる。笑ってなんぼ。笑かしてなんぼ。

 
 落語に関してはゆずったことがない、粗忽家勘朝がブレている。
 
 お客様は、今回『上方落語の会』を高く評価されている(大笑いされている)。実際一番後ろの席で私も笑った。

 勘尺も勘米も、私とマンツーマンでやった稽古をほとんど活かしてなかった。でもウケてた。稽古の時間はほとんど無駄だった。
 ウケたことがすべて。笑わしてなんぼ。

 勘珍、勘楽、勘也の芸は理解できるし、読める。

 今回の楽狐、鴈次郎、勘尺、勘米の芸は読めない。
 稽古不足の者もいる。でもウケてる。何なんだこれは。

 上方落語炸裂。怖い。
 粗忽家勘朝、落語生活35年の落語理論が瓦解しようとしている(笑)。笑い事ではない。


 志ん生も円生も談志も上方では酷い目に逢っている。NGK(なんばグランド花月)で認められている江戸落語、は柳家金語楼だけ。NGKの外壁に燦然と描いてある。

 甘棠館笑劇場も上方落語がメインになるかもしれない(恐)。

 グレシャムの言葉を思い出す。『悪貨は良貨を駆逐する。』(笑)。
 笑い飛ばすパワーは上方にかなわない。


 実際、面白かった。 

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2011年02月27日 16:50に投稿されたエントリーのページです。

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