『寝床』の名セリフから、
~下手だまずいは我慢できますよ。その前の『声』だ!~
頭(かしら)が、重蔵(しげぞう)に熱く力説する。
語り芸の語(かたり)を、あれこれそぎ落としていくと、究極は『声』に行きつく。
語り芸では、この『声』が一番難しい。稽古してうまくなるスキルではない。
本人の努力のかなたにある。
会場全体に、声を張り上げるとうるさい。耳に障る。
かといって、張らないと、遠くまで届かない。また、張りすぎると、途中で嗄れる。
『声』ばかりは、20代の声帯からトレーニングしてないとかなり難しい。
だからといって50代の声帯で無理かと言うとそうでもない。
ただ、柔軟な声への転換はまず無理。自分の声にあった噺を選ぶのが賢明。残された稽古時間はない。
出来れば、声変わりする前の、ボーイソプラノがいい。七色の声を稽古で出せるようになる。
また、その頃から稽古していると、不思議なことに、小さな声でしゃべっても、遠くまで届く声が出る。
先代馬生師匠の声がそれ。ぼそぼそしゃべっているのに、ひろい会場の隅々まで届いていた。
アナウンサーの声は、ちょっと違う。マイクを前提としての『声』は、『音』になっている。この説は米朝師匠の説。名著『落語と私』P122に書いてある。
志ん朝師匠、先代金馬師匠、先々代柳好師匠、円生師匠、の声は、まさに宝。
師匠達にしか出せない。昔の音源がかかるとすぐわかる。
『声』だけは長年の発声練習でしか、出せない。
声変わり前に、発声練習始めた者は、それだけで『財産』。ただ、この財産が2年間ほっとくと、朽ち果てるからもったいない。落語以外では、全く役に立たないのも、もったいない。
芸事はそういうもの。
『声』を作ることなんて「時間の無駄」と、言いきってしまえる。
だから人生狂わせる。とも言っている。
止めるは今。(と自分にも言ってる。)病膏肓に入る。