二つとも古墳として、重要な歴史的遺産なのだが、後世の扱い方が全く違う。
仁徳天皇陵は宮内庁管轄として、立ち入りが出来ないほど手厚く保存されている。今後よほどの政変でもない限り、ほぼ永遠に中を観るのは不可能。おそらく想像を絶する石室があるはず。
かたや、蘇我入鹿陵墓跡は、土がはぎ取られ、石室内は荒らされ、石棺は雲散霧消し千数百年雨ざらしになっている。
豪族と天皇家の墓の扱いの違い。
蘇我入鹿は天皇家をないがしろにした、逆賊ともいえる輩。
おそらく、大化の改新で天皇家が復活して、蘇我入鹿の墓は、天皇家から無残にも暴かれたのだろう。
陵墓の土は掘り返され、副葬品は掘り出され、躯(むくろ)はばらばらにされ、死後の安らかな世界は無残に打ち砕かれた。
別に蘇我一族に思い入れがあるわけではないが、日本の歴史を振り返るといつも同じ思いに駆られる。
天皇家に弓を引いたもの、いわゆる『逆賊』の扱いがあまりにもむごすぎる。
平将門、足利尊氏、長州藩(のちにトリックプレイで復活する)、226事件の青年将校、大杉栄等々。教科書にさえ残らない、人々がもっと多くいるはず。
歴史は勝者のみによってつくられた、偏狭な側面でしかない。とくに日本史は、ギネスにのる万世一系の一族の歴史観(皇国史観)の色合いが強すぎる。
近畿に行くんだったら『石舞台』へ行こう。逆賊蘇我氏の怨念が漂っている、かな(笑)。