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『ローマの休日』に関する一考察

 ずっと宿題になっていた『ローマの休日』。

 中学生か高校生の頃観た記憶がある。例によって淀長さんの『日曜洋画劇場』。

 確かに主演のO.ヘップバーンはキュートで可愛かった。だがしかし、マイノリティフェチの私にはどうしても受け入れられない脚本だった。それは…。
 主役が欧州某王国の女王という設定。
 ヨーロッパという強者の側に位置し、しかも王国で、貴族階級にいて、その上女王だと!この設定でまずOUT!
 アジア、アフリカ、中近東でなく、民主主義国家でなく、労働者でもなく、その上、搾取される側の庶民でない設定。四段階で頸(くびき)がかかっている。

 貴族が主役の映画は観ない。貴族が労働者の血税の上に成り立っている(寄生虫)ことを、例え映画とはいえ見逃さない。『貴族あれば賤民あり』。被差別側のアンチテーゼととらえられる。

 ヨーロッパ映画には貴族階級が良くも悪くも登場する。せっかく映画を観ながら気分を害するので欧州映画はあまり観ない。(もちろん例外は十分すぎるほどある。テオ・アンゲロプロス『旅芸人の記録』等※後日日記で…)アメリカには歴史もないが貴族も登場しない。だから安心できる…ハズだった。
 のに『ローマの休日』にはやられた。アメリカ人の欧州コンプレックスが映画ににじみ出ている。
 
 驚きの新解釈をご披露。多分この解釈は誰もやってないハズ。(何処かのサイトで書いてあったらスミマセン。)
 『グレゴリーペックの新聞屋はホモセクシャルだった。』
 この仮説を立てると結構『ローマの休日』の矛盾点が解決される。彼の親友との関係、アン王女との関係、等々。
 断っておくがホモセクシャルを否定はしない。それを隠そうとしている映画を否定する。
 堂々と映画の中で彼がアン王女にセクシュアリズムを感じなかったことを表現すればよかった。
 だいたいあれだけの美人が、独身男性の部屋で一晩過ごして何もしないわけがあり得ない。彼女は全くの無抵抗だったわけだし。強姦は成立しない(と思う)。
 草食系では通用しない。EDかホモセクシャルしかありえない。映画だからと言って美化しすぎてる。
 淀長にはそこまで突っ込んで解説して欲しかった。御自分もホモセクシャルだったのは有名だったこと。それに、性同一障害は恥ずかしいことではない。おすぎにはそこまで追及して欲しい。

 話がずれてきた。O.ヘップバーンは『マイフェアレディ』がいい。『ピグマリオン効果』がベースになっている。『マイフェアレディ』でヘップバーンの親父が実にいい。

 ヘップバーンの映画に『許されざる者』がある。ジーンハックマン、クリントイーストウッドの同名の映画とは違う。
 これは自主規制がかかって多分放送できない映画になっている。この考察はまた別の日に。
 サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

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2009年10月07日 19:48に投稿されたエントリーのページです。

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