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『駅馬車』2

 駅馬車を私の視点で見て欲しい。フロンティアスピリッツの映画が、にものの見事に、侵略、略奪、虐殺の映画変わる。

 アングロサクソンは先に産業革命を成し遂げて、手の付いてない土地を狂狗のように略奪し始めた。南米アメリカ、オーストラリア、アフリカ、アジア等々を飛蝗(ひこう:イナゴの大群)の勢いで略奪し始める。20世紀後半でようやく反省の姿勢を見せ始めるが、遅すぎた。
 インカの黄金は完全にスペインの極悪人ピサロに持ち去られたまま。アボリジニ、アフリカン、ネイティブアメリカン(この表記も多いに問題がある:OB君ありがとう)はスポーツハンティングで虐殺された。
 アングロサクソンは有色人種を完全に見下している。人間として見ていない。一度だけ白人が驚いたのは日露戦争で、有史以来始めて白人が有色人種に負けたとき。残念ながら勝った日本はアングロサクソンの尻馬に乗って大きな過ちを犯す。

 『駅馬車』は大きな流れで見ると、略奪の映画に違いない。遠くに聞こえる騎兵隊ラッパを正義の音と聞くか、自分たちの土地に入り込んできた不法侵入者を排斥するネイティブアメリカンの正義をぶっ潰す悪魔の音と聞くか…。

 カメラワークや激しいアクションは評価できる。その後の『ベンハー』や『七人の侍』にさえ影響を及ぼしている。だが所詮脚本はお粗末。騎兵隊がヒーローなんて。
 騎兵隊は火器を持たないインディアンを虐殺するだけの殺戮集団だろ?

 始めてアメリカ映画界が、真実の騎兵隊を映画にしたのは『ソルジャー・ブルー』だと思う。それ以前にあっていたら御免なさい。レンタルはされてないだろうな。暗い映画だったように覚えている。
 『ダンズ・ウイズ・ウルブス』もとらえ方としてはいい線いっている。

 『駅馬車』の偏った見方だとは思うが、そういう視点もある。

 次は『ローマの休日』を語ろうかなぁ。これは非難を浴びそうだ(笑)。あの映画をこきおろすなんて誰もしないだろうから。

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2009年09月13日 08:36に投稿されたエントリーのページです。

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