子どもの頃から、強い判官贔屓の性癖があった。性癖だから説明のしようがない。マイノリティフェチ。
『巨人・大鵬・卵焼き』が大嫌いで、『広島・柏戸・目玉焼き』だった。(でも、卵焼きも好きだった。今でも好き。)
セ・リーグよりパ・リーグ。
力道山より豊登、吉村道明。
ジャイアント馬場よりアントニオ猪木。(その後猪木の方がメジャーになってきて困った。)
機動隊より学生デモ隊。
キリンビールよりアサヒビール(スーパードライが出来る前のアサヒビールはマイナーだった。もうどこ探してもアサヒビールは残ってない。)
コカコーラよりペプシコーラ
ナショナルよりサンヨー
カローラよりサニー
少年マガジンより少年サンデー(少年キングはイタかった)
……
江川や元木、川口、江藤のようにマジョリティ・権力側にすり寄っていく輩は許せない。
で、小さい頃から、落語が好きだった。サブカルチャーだったから。今でも落語はサブカルチャーだと思っているが、だんだんメインカルチャーになりつつあるようで心配している。落語が趣味だと言うことが何だか、大人のステイタスになって来つつある。
高校生の頃落語が好きなんて口が裂けても言えなかった。少なくとも女子高生のウケはよくなかった。というか、当時の女子高生は志ん朝師匠や談志、柳朝なんて振り向きもしてなかった。今もだろうけど。少なくとも高校生の頃はフォーク真っ盛りでコンサートに行った生徒は結構女子高生に受けていた。ギターなんか弾いてたら、鞄の中にこっそり手紙が入ってた。
扇子手拭い持ってても、からっきしもてない。そういう青春の犠牲をはらって落語をやり続けてきたのに、最近落語がブームになって、嬉しい反面心配している。
つまり私が何故落語が好きかというと、落語は明らかにマイノリティだったから。落語は永遠にマイノリティであって欲しい。
映画は不良が観るものだった。ところが文部省が推薦するようになって映画の堕落が始まった。その愚を落語はたどってはいけない。落語は社会的弱者であってほしい。
落語ファンは常にカープファンであってほしい。タイガースまでは許す。読売だけは止めて欲しい。マイノリティの看板が瓦解する。
めちゃくちゃな論点(笑)。警察にマークされるよりマシ。