«  実録 小さな闘争 | メイン | 14歳の感性 »

マイノリティの側に立つ

 子どもの頃から、強い判官贔屓の性癖があった。性癖だから説明のしようがない。マイノリティフェチ。
 
 『巨人・大鵬・卵焼き』が大嫌いで、『広島・柏戸・目玉焼き』だった。(でも、卵焼きも好きだった。今でも好き。)
 セ・リーグよりパ・リーグ。
 力道山より豊登、吉村道明。
 ジャイアント馬場よりアントニオ猪木。(その後猪木の方がメジャーになってきて困った。)
 機動隊より学生デモ隊。
 キリンビールよりアサヒビール(スーパードライが出来る前のアサヒビールはマイナーだった。もうどこ探してもアサヒビールは残ってない。)
 コカコーラよりペプシコーラ
 ナショナルよりサンヨー
 カローラよりサニー
 少年マガジンより少年サンデー(少年キングはイタかった)
 …… 
 江川や元木、川口、江藤のようにマジョリティ・権力側にすり寄っていく輩は許せない。
 で、小さい頃から、落語が好きだった。サブカルチャーだったから。今でも落語はサブカルチャーだと思っているが、だんだんメインカルチャーになりつつあるようで心配している。落語が趣味だと言うことが何だか、大人のステイタスになって来つつある。

 高校生の頃落語が好きなんて口が裂けても言えなかった。少なくとも女子高生のウケはよくなかった。というか、当時の女子高生は志ん朝師匠や談志、柳朝なんて振り向きもしてなかった。今もだろうけど。少なくとも高校生の頃はフォーク真っ盛りでコンサートに行った生徒は結構女子高生に受けていた。ギターなんか弾いてたら、鞄の中にこっそり手紙が入ってた。
 扇子手拭い持ってても、からっきしもてない。そういう青春の犠牲をはらって落語をやり続けてきたのに、最近落語がブームになって、嬉しい反面心配している。

 つまり私が何故落語が好きかというと、落語は明らかにマイノリティだったから。落語は永遠にマイノリティであって欲しい。
 映画は不良が観るものだった。ところが文部省が推薦するようになって映画の堕落が始まった。その愚を落語はたどってはいけない。落語は社会的弱者であってほしい。
 落語ファンは常にカープファンであってほしい。タイガースまでは許す。読売だけは止めて欲しい。マイノリティの看板が瓦解する。
 めちゃくちゃな論点(笑)。警察にマークされるよりマシ。

About

2009年08月01日 22:35に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「 実録 小さな闘争」です。

次の投稿は「14歳の感性」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.32