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14歳の感性

 つい先日14歳の女子中学生とゆっくり話をする時間があった。他の誰にも邪魔されず、ゆっくり2時間。
 変に勘ぐらない、52歳にもなって、青少年育成条例に抵触して職を失うことはしない。
 14歳と言えば、子どものエリアだろうと思って話をしたが、驚いた、感性は大人顔負け。時としてやりこめられそうにもなった、粗忽家勘朝とあろうものが。
 映画もかなり観ている。本も読んでいる。大人の行動もよく知っている。
 最近読んだ本で何が面白かったか尋ねたら
「ハリーポッター」だと。この辺りがまだ14歳だ。「先生も読みぃ。」ときた。もしかしたらこの子が言うんだから面白いのかもしれん。すくなくともOBに薦められても読まんが、この子の話には妙な説得力がある。
 小学校時代の担任を崇拝している。いいことだ。もちろん私じゃない。残念ながら私は今だかつて、崇拝されたためしがない(笑)。この子だけではない、そのクラスの子はほとんどが担任が大好き。微笑ましいクラスを作っていたらしい。とてもいいこと。

 で、この子の小学校時代、担任へは当たり前だが、他の教師集団を視る目がとても正確なのに驚く。
「A先生とB先生とC先生は同じ眼で私を視ていた。でもM先生とT先生は違う目で観てくれた。A先生の眼は嫌い。T先生やM先生が私を見てくれる見方の方が嬉しかった。いろんな意見を押しつけられたってわからんし!『○○のようになれ』って言われたって知らんし!」
 職員集団の色分けや主義主張も正鵠を得ていた。凄い!小学校の頃からそれを見抜いていたなんて、恐るべし14歳。
「なんで小学校の頃からそんな難しい映画見たり、先生達のこと知っとおと?」と私。
「お母さんの影響やない。」語尾のイントネーションを上げる中学生話法でたんたんと話す。

 自分が14歳の頃をふと思い出した。まだ躁突入まで6年ほど前。マイノリティ側に軸足は置いていたものの、しっかりした主張や理論付けまでは出来ていなかった(ような気がする)。教師を相手に自分の意見を蕩々と述べるなんてとても出来なかった。教師は嫌いだった。
 映画もまだ大人の映画は見てなかったような気がする。座頭市シリーズや悪名シリーズを父親と一緒に観ていた。えらい違いだ。ビデオ屋が無かったせいもあるが…。

 子どもを侮っちゃいけない、数年後大きなおつりが返ってくる。子どもを大人の未完成型だと思っているとそう遠くない将来、確実にやられる。しかも子どもは記憶力がいい。こっちの記憶力は日々確実に衰えているが、子どもは精密機械のように記憶している。
 また、母親がしっかりしている子は、感性もしっかりしている。自分に受け入れて言い事柄と、そうでない事柄を冷静に判断している。敵を見つける感性は鋭い。
 恐るべし14歳。

 別れ際にTSUTAYAに誘う。この子にある映画をプレゼントした。『ニキータ』(笑)。(フランスバイオレンスかよ。)
「お母さんと観る」ときた。お母さんはどんな思いをもって14歳の娘と鑑賞するだろう。
 TSUTAYAで音楽CDも借りた。何だかちっとも知らないCDばっかり。音楽の理論武装も必要かも。直角、勘タンに辺りにレクチャーして貰わなければ。でも彼等も14歳の中学生には付いていけないだろうなぁ。

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2009年08月04日 16:01に投稿されたエントリーのページです。

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