« 結論 | メイン | 正朝独演会 裏事情 »

山笠

 今回の日記は少々激しい。鬱病にはかけないゾ!
 先日ようやく山笠が終わった。これで福博に本格的な夏がやって来る。山笠はそういう福博の街に夏を知らせてくれる祭りでもある。福博の歳時記に載っててもおかしくない。

 山笠の熱狂的なファンも大勢いる。でも「粗忽家勘朝は山笠が嫌いだ」をカミングアウトする。
[山笠が好きな人まで嫌い]
ではない。お間違いなく。

 もう今は『不浄のもの入るべからず』の看板を堂々と掲げている流れはないらしい。でもそれは看板下ろしただけで、中味はステレオタイプの男達で溢れている。
 『不浄』にひっかかる、『不浄』=『穢れ(けがれ)』という実体のない社会意識。それがどれだけ多くの方々を悩ませ、不幸に追い込んだか。マイノリティへのいわれのない差別、蔑視、社会的排除がどれだけ近世から現代にまで、もっというならリアルタイムで行われて来ているか。
 『2ちゃんねる』を見ると差別の現実が如実に表れている。匿名性をいいことに差別的な表現が堂々とまかり通っている。中には実名すれすれで登場している。それを歓ぶ連中がいて、覗き見を楽しみにしている連中がいる。

 中世に日本人の中に『穢れ意識』が生れてきた。それ以前かも知れない。(この辺りの勉強不足はみとめます。)病気、死、出産、血液、生理、…そこから派生して女性そのもの…。それらの事柄を日本人は恐れてきた。最初は畏敬の念だったという人もいる。
 それらの事柄を自分たちの日常から遠ざけようとしてきた。『穢れ意識』はどんどん広がっていった、職業も『穢れた職業』が出てきた。例えば、死に係わる職業、病気に係わる職業
(名画「おくりびと」ではおそれることなく表現している。広末の「汚らわしい!」のセリフ。その行間を聴きとって欲しい。映画では「穢れ」から解放されていく広末の姿を美しく撮っているが、現実はそうはうまくいかない。)
 「穢れ」と立ち向かう職業、葬祭師、納棺師、おんぼさん、死牛馬から取り出す皮革産業、食肉業等々、さらに生産的でないとさげすまれた阿波の人形浄瑠璃や歌舞伎者。彼等彼女らは連綿と差別されてきた。マイノリティで生活してきた。

 「山笠をそこまで考えるのもねぇ。」と言われるだろうが、社会意識の中に深く、差別意識が澱のように沈んでいる。あの祭りにはそんな側面がある。「放生会」や「どんたく」とは違う。
 山を担ぐ男達はその期間奥さんとのSEXを断つらしい。その代わり南新地では法被を着た男達がたむろしている。
 SEXレスなのかも知れないが、彼等にとって性行為は穢れているらしい。生命の営み、男女(男男もあるし、女女も含む)の最高のコミュニケーションが穢れているとは…。自慢げにいう男達を勇壮だと持ち上げるマスコミ。残念ながら暴走族をはやしに行く客と同じ視点しか持ってない。『2ちゃんねる』もマスコミの一種に違いない。
 また穢れていると差別されながら偽装生活する「ごりょんさん」と呼ばれている女性達。これも理解できない。向こうも理解して欲しいとは思ってないだろうけど。自分は被差別のふりをしているが、実は差別側に軸足を置いている。ちょっと複雑な構造。 

 昔書いたが、勘朝はオリンピックも嫌い。何故嫌いかは重複するので書かないが、ナショナリズムと機会不均等が露骨にあるのに、蓋をしてしまっている。
 人々が熱狂する裏にある「何か」に気づくセンスは人よりある(つもり)。
 
 もちろんこういったことは公民館の人権落語では一切触れない。ましてやG公民館やN公民館、R公民館で触れようものなら生きては帰られない(笑)。
 でも視点はぶれない。

 周りからは変人と思われるだろうなぁ。マイノリティは肩を寄せ合って生きるしかない。OBなら理解できる(笑)。OBの目は山を担ぐ男の目から、最も遠いところにある。
 全国民が戦争に熱狂していた昭和19年頃でさえ
「この戦争負けるに決まってますよね。」
といった目をしている。そういう目は簡単に熱狂しない。そういう目が好きだ。
 だからOBはもっとも山笠からは遠い(たぶん)。本人の確認は取ってない(笑)。OBが山を担いでいる姿を想像するだけで笑える。イジリ過ぎ。

About

2009年07月16日 04:44に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「結論」です。

次の投稿は「正朝独演会 裏事情」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.32