今回をもって『ドクターショッピング』シリーズ終わり。書き出しと終わりが妙に繋がってない。まだ、書き手としての勘朝の感覚が戻ってないようだ。仕方がない、数ヶ月前までベッドで闘病中だったのだから。
7名のDr.の力を借りながら、ようやく社会復帰できた。鬱病真っ最中には社会復帰なんて出来ないだろうと思っていた。
Dr.Yから生活実態を根掘り葉掘り聞かれた。正直に答えた。何しろ鬱病から救ってくれるのはこの人しか居ないので隠すことは得策ではない。小学校時代、中学校時代、高校時代、学生時代のことから社会人の交友関係(含む異性)を全てぶちまけた。
二双性、双極性の鬱病らしい。簡単にいえば躁鬱病。躁の時代があまりに長かったのでそのリズムが発見できなかった。と、言われてもよく理解できない。
「二双性ですね。」とDr.Y「まぁ簡単に言えば躁鬱病ですよ。」
「私躁鬱病だったんですか?いつからですか。」
「はっきりとは言えませんが社会人になってからの行動は明かですよ。お金の浪費はありませんでしたか?」
「お金はあんまりもっていませんでしたから。」
「ローンや借金は。」
「それもありません。」
「何か浪費してませんか。」
「浪費ですか?…強いて言えば時間でしょうか。」
そういえば役にも立たないことにあまりに膨大な時間をつぎ込んでいる。社会人となった人生の半分以上いや90%はろくでもないことにつぎ込んでいる。しかもロングスリーパーで睡眠時間はヒトより2~4時間ほど多い。睡眠、仕事、家庭、で使う時間の残りを全て浪費していた。
こえびのように自己啓発にお金と時間をつぎ込めば、いろんな資格を取っていたかも知れない。また仕事に熱心で、論文書いたり、教育実践の形跡を残していればそれなりの道を歩いていたかも知れない。
躁状態だったのでそういう道を選び損なった。でも全く後悔はしてない。代わりに多くの仲間達が出来た。
「じゃぁ先生。私はずっと病気だったんですか?」
「そうともいえますね。」
「鬱病が治ったら、病気でない私になるんですか?」
「少なくとも鬱病は治ります。」
「…」
病気じゃない自分を知らない。どんなんだろう?
「気分が上がりすぎたら(躁状態になったら)身近にいる人がすぐ気が付きます。そんなときは注意してください。」
「どうなるんですか?」
「浪費がはじまるとか。寝るのを忘れるとか。」
躁の時に出会った仲間は大勢いる。教え子もほとんどが躁の時。教え子から弟子に迎えた連中も大勢。最初が勘々で、最後がつき菜。その年齢差は20を越える。20年以上躁病だったなんて。
さて、病気上がりはどんな粗忽家勘朝になるんだろう。まだ経験したこと無いから笑える。笑い事じゃないが笑える。『自分探しの旅』なんてツヤ付けてる場合じゃない。
『躁になったら鬱がくる』これはかなり恐怖だ。
わたしの身近にいる人たち、勘朝が突っ走り始めたらぜひ教えてください。言っても聞かない勘朝からビビリの勘朝になりますから。なれるかな? 終わり