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無知の知、知への無知

 今回に限り実名御免。

 晩秋の稽古会。
 ディープにハマっててはっと気が付いた。(別にたいしたことではない。)

 「ディープの世界」に入り込むのは、論を異にする者にとってかなり難しい。
 ヨウロウタケシという自称学者が、『バカの壁』というバカでも読める書籍で書いている。

 ~「お互い決して越えることのない世界で生活している。」~

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 鴈治郎が稽古で『胴乱の幸助』をかけた。
 幸助に対して既視感があった。病症発揮例。(主語:私)

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 彼(幸助)を理解するのには、常識脳では大凡(おおよそ)かなり難しい。

 『ドグラマグラ』を常識脳で理解出来ないのと同じ。

 押川春浪~山萌園名義~夢野久作にいたる異常作品を読み砕くのは、常識脳では無理。
 「読み解いた!」といった時点で、エリアを突きぬけている。
 狂人を理解するのには自らが狂人エリアに入り込むしかない。

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 で、勘心がいみじくも言った。
 「私には出来ません。」

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 常識人のレベルから脱しようと努力しているセリフ。
 ただのバカはお互いの「知への無知。無知への知。」に気付いてない。
 勘心は常識人が一番よく似合う。非常識を演じようとして、迷路に入る。

 全日本一般人選手権で中庸レベルの見える景色こそを普遍と表現されていい。
 だから、常識的な江戸落語が普遍の冠を得る。

 そこの異変を紐解くのがインテリと言う職業。 
 「これでいいのだ!」のパパを理解出来ないのは当然。

 バカ(と表現すると怒るバカがいるから)バカボンのパパが多くを占めると、
 日本が立ち行かなくなる。

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 日本文学のいや、世界文学の異様さを説明できる碩学がまたひとり、福岡を後にする。
 押川春浪~山萌園名義~夢野久作を説明できる学者はそういない。

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2015年11月14日 19:18に投稿されたエントリーのページです。

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