まだまだ粗忽家勘朝が若くて激しい頃。
福岡市民110万のほとんどが落語を知らない頃。
福岡での落語興業は、「福岡労音」が全て担ってた。
まだ勘朝を名乗ることすら知らないE少年は、「労音」にこっそり通い、落語の感性を育ててもらった。
その落語は、とても閑静で落ち付いて、水墨画の雰囲気すら感じられた。
志ん朝師匠・円菊・先代馬生ら。残念ながら他の噺家さんの記憶がない。
不思議と古今亭一門の記憶だけしか残ってない。
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勘朝を名乗ることになって、ふとしたきっかけが起こった。
大阪に出かけて、極彩色の落語に出会った。そして、心底ひっくり返った。
落語の底知れぬパワーに圧倒された。
まさかその落語が人生を変えるとも思わなかった。(続く)