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旬≒ピーク

 急に「旬」について考える。

 いちいち定義をしてる暇はないが、対象とされるコト・モノ・ヒトのピーク・味わい時。が旬。

 パフォーマンスする側の旬は、亡くなったあと客観的に評価される。
 評価する側の主体性があるから、基準・規準は揺れる。

 私は。一番影響を受けた志ん朝師匠。その旬を観てる。
 『愛宕山』をメルパルクホールで観た。
 『寝床』『船徳』を明生ホールで観た。
 とても、とても残念だが、『火焔太鼓』は観てない。
 その代わり『三枚起請』は観た。
 『二番煎じ』も観た。
 自慢は聞いてても仕方がない。

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 で、己の「旬」を考える。
 末席を汚しているとはいえ、任意のお客様にお越しいただいてる公共性の強い寄席に出てる。
 芸≒ポテンシャルがある。

 おそらくピークは過ぎてる。残念だが認めざるを得ない。

 ただ、ここで、勘朝のピークから内浜落語会のピークへと視点を変える。
 勘朝個人店の内浜落語会と、今の内浜落語会は、それは今の方がポテンシャルは大きい。
 『中村仲蔵』もできる。
 『抜け雀』
 『源平盛衰期』
 『阿弥陀ヶ池』
 『浜野規炬』
 『一門笛』
 『青菜』
 『時そば』『つる』『ろくろっ首』『勘定板』
 『天神山』
 『牡丹灯篭』
 『市川堤』
  まだまだ数えきれないネタをもってる。

 勘楽も、勘也も、楽狐も、勘心も、勘尺も、勘栄も、鴈治郎も、楽狐も、とまともアゲてくる。誰の旬がいつ来てるかも混沌としている。

 内浜落語会が個人経営店から、ショッピングモールになってる。
 まさにこれから「旬」を迎える。
 個人のピークなんてたいしたことではない。

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 落語協会のピークは、もしかしたら超えてるのではなかろうか。

 40年ほど昔
 円生師匠が会長の頃。
 文楽がいて、三平がいて、小さんがいて、志ん朝師匠がいて、談志がいて、柳朝がいて、円楽がいて、歌奴がいて、三木助がいた。
 その頃に比べて今の落語協会はあきらかにポテンシャルが落ちている。

 「旬」。はかないけど、パワーがある。

 内浜の旬は20年後に。まだ私も生きている、かな(笑)。

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2014年08月13日 19:07に投稿されたエントリーのページです。

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