憲法改正が噂になるといつも
『AKIRA』を思い浮かべる。
知らない方もいるだろうから
『AKIRA』大友克洋作。先日『SHORT PEACE 』を観て思い出した。
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個人的な解釈。
AKIRA≒憲法と読みとると、結構オリジナルな深読みが出来る。
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こういった個人的な読み取りを現代国語の教員たちは嫌がる。
『〇〇的解釈』とかいって排斥する。
なぜなら小林秀雄的試験問題が瓦解するから。
それは自分達の「象牙の塔」をまもりたいだけ。安っぽい象牙の塔。
(怒るだろうなぁ。でもそう言う連中はこういった場末の日記は読まない。読んでても、読むことはありえない。学問を崇高なものだと信じてる。それは、・・・・。)
まぁ、その話題は置いといて。
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AKIRA少年≒『日本国憲法』はシールドでガチガチに固められている。
そう日本国憲法は壊しようのない法規制で原子炉以上に固いガードでブロックされている。
『AKIRA』では、シールドが一つ一つ融解される。
キーパースンがテツオだったかな?
まぁオリジナルを読んだのが30年前だからこのあたりは虚(うろ)。
で、結局AKIRAが目覚める(≒憲法改悪される)、はじめは何の変化もないが級数的に社会変化が起きて。
and so on。
大友克洋という表現者をただならぬ人だと思ったのはこの辺り。
ただのサブカルおたく、だと思ってたら、ちょっと違うらしい。
もちろんただのオタクかもしれないけど、どうせたかが『勘朝日記』のことジャンク。
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記号論という理解しがたい領域がある。
ドゥールズだとか、ラカン、ガタリだとか浅田彰だとかの一派。
『逃走論』を何回読んでも、読み切れなかった。まだ、『共産党宣言』の方がましだと思う。両方とも読破してないけど。たぶん私の読解力では永遠に無理。
『逃走論』。
概念だけでも掴めそうな気がしたが、無理だった。
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ただ、記号論者が言いたいスキゾキッズとは『粗忽長屋』『だくだく』に通じてることだけは間違いない(と思う)。
だから、そういう勝手な解釈を小林秀雄の門下生は嫌ってる(笑)。
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おっと、『AKIRA』。
安直に憲法のシールドを剥がすなよってこと。
剥がれた後の世界を『武器よさらば』で大友克洋が描いてる。
映画館で上映するほどの作品ではない。
ただ、奥底の作者の意図は括目する。
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AKIRAを三男の名前に付けた。誰も知らない。
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(後日談:0〇君は見抜いた。
「AKIRAですか。これですね。」
といって、核融合の真似をしてた。恐るべしサブカル。