【スクリーンで観る落語】『シネマ落語』11月公開。
落語通では、名の知れた、京須偕充(きょうす某)がディレクターらしい。
【本当に落語が好きな人】の定義があいまいだが、落語通は観に行かない。
落語のいいところと、映画のいいところを、お互いが抑止し合ってる。
落語は【演者】と【客】と【会場】が相互に影響を及ぼし合って成立している芸。例外はない。
客がいない落語、演者がいない落語、会場がない落語、どれが欠けても落語は成立しない。
さて、『シネマ落語』。
客は、演者のいない銀幕落語を本当に楽しむのか。寅さん映画を観るように、感情移入して笑うのか。
おそらく無理。
こんな無理無茶な、落語そして映画はない。
毎日寄席小屋で、懸命に落語を演っている噺家さんに失礼だ。
京須某。【円生百選】、【志ん朝特選】を完成させた腕は十分に称賛される。
しかし、シネマ落語はどう考えても無謀。
仮に、商店街寄席でプロジェクター使って枝雀師匠の爆笑『代書』やったって、お客さんは喜ばない。
それより、懸命に稽古して、内浜名物全体練習会でたたかれて、自信喪失して這い上がって来た勘〇の『代書』のほうが喜ばれる。そこに、演者の息遣いが、ライブとして現存している。
もちろん、稽古不足で演じるのは話にならない。商店街寄席に上がる連中は十分稽古して上がる。
シネマ落語の演者の中に、志ん朝師匠がいるのが、悲しい。
志ん朝師匠を、好きで好きでたまらない人は、観るのだろうか、観ないのだろうか・・・。
志ん朝師匠のお弟子さん達は、観るだろうか。
志ん朝師匠が生きておられたら、シネマ落語に反対してる(と思う)。音や映像を残すことに、最後まで抵抗してあった師匠。