昔、文部省(現文科省)推薦映画というのがあった。商業映画小屋でも、かかっていた。映画小屋のない地方の町へは、学校へ16mフィルムごと持って行って、映写会と言うのがあってた。
この種の映画のつまらないことといったら、なかった。当時小学生の勘朝は、映画はもっと面白いということを友だちに吹聴しまくった。誰からも相手にされなかった。その頃からホラふきと思われていた。
そんな映画を観た後、必ず感想文を書かされた。ホントのことを書けばバカな教師から嫌われるとも知らずに、正直な感想文を書いた。で、嫌われた。
文部省推薦の映画の胡散(うさん)臭さは、後日書くとして。
『サウンドオブミュージック』も文部省推薦映画だった。誰も文句のつけようがない名画。
ただ、どうも、(ついて)イケない。
J.アンドリュースがあまりにも清らか過ぎる。修道女の生き方を、批判はしないが、それが【正しい】というのは間違い。
かの名画にケチつけること自体が不遜だが。
敢えて異を唱えるなら、清らかな女性にはウソが見える。人間としての『業』がない。そんな女性はいるわけない。男もいないけど。
先日『東京物語』と『サウンドオブミュージック』がブッキング。当然、『東京物語』を選ぶ。
原節子は瞳の奥に小悪魔を演じていた。小津安二郎は原節子にそういう目を要求している。原節子も見事にそういう目を演じている。
『ノンちゃん雲に乗る』 『青い山脈』の原節子とは、全く別人の目。
『サウンドオブミュージック』でのJ.アンドリュースは徹底的に無垢な処女を演じている。ウソ臭い。
『引き裂かれたカーテン』(監督:A.ヒッチコック)で、P.ニューマンと共演した彼女の方がよほど艶がある。
文部省が押しつける胡散臭さはここ。
文部省推薦だとか全国PTA推薦の映画が全く面白くないのはここ。
そういう推薦を出している官僚が、銀座赤坂中洲でどういう痴態をさらけだしているか。
そこを見抜くのが我々民衆の正確な情報のとらえ方。
文部科学省になって連中も、より巧みになってるから、こちらも十分心得て。