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子どもに落語を『教える』

 (08君に乗せられないように。)

 『学ぶ』と『教える』は違う。
 『学ぶ』主体は学習者にあるが、『教える』主体者は指導者にある。
 
 落語は『教える』。
 教える側の力量が問われる。その際、子どもは指導者をリスペクトしているという関係が根底にある。

 小学生の場合特にそれが大切。

 よく『学級崩壊』といわれるが、そのクラスは100%先生をリスペクトしていない。子どもにバカにされたら、教室は成り立たない。
 リスペクトしているのは、権威的なクラスとは違う。教師の権威は大切だが、権威で押さえつけられているクラスは息苦しい。『学級崩壊』よりはましだと思うが。

 さて、落語の場合。学習指導要領にのってないので、全員に教える必要がない。好きな子が集まればいい。

 各クラスを訪問し、て全員の前でやる。この時ウケることが絶対必要。はずしたらそれまで。子どもをウケさせ切れないものがやると惨めな結果になるだけ。

「落語ってこんなに面白いんだぁ。」と信じさせる。集団催眠に近い(笑)。一部の子どもは『落語がやりたい』と催眠をかけられる。
 そんな関係が出来たら、あとは自由自在にいうことを聞く。師弟関係さえできたら。親や担任の言うことより、師匠の言うことを聞く。担任が師匠だったら子どもに逃げ場はない。恐ろしい。

 誰とは言わないけれど、そうやって人生を狂わせた連中がいる。
 そういう人生もまた乙。

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2010年05月19日 06:45に投稿されたエントリーのページです。

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