そう大そうな出来事でもないことを、さも大層に語っていた時期があった。ストーリーテラーとしての素養が自分にあると思っていた。
それが病気だったとは今でも信じられないが、ドクターが言うんだから本当なんだろう。
事実、それを根こそぎ持っていかれたときは、驚いた。
「何で俺が『鬱病』に?」
第三者からは「なぜ勘朝さんが『鬱病』に?」
仕方がない。なったことは事実なんだから。
鬱病になって数年過ぎ。今までの粗忽家勘朝は何だったんだ?多いに迷った。
鬱からの脱出の糸口は落語にあった。
内浜落語会がいつの間にか復活の原動力になってくれた。
「社会に何にも役に立たない事を真剣に遊んでいる任意団体」と会長自身がそう思っていた団体に、会長自身が救われた。
「社会に何も役に立たない」のは変わらないだろうが、会員には大きなよりどころ」となっている。マイノリティといわれようが、サブカルチャーだと陰口たたかれようが、内浜落語会は会員一人ひとりのよりどころとなっているのは間違いないようだ。でなきゃ、こんな会が20年以上続くはずがない。
一時は会長を直角か勘々にやって貰うことを真剣に考えた。「会長交代の時期はいつなんだろうか」と他人事のように考えていた時期もあった。
秘かに会長職を狙っていただろう直角君、勘々君。残念ながら、粗忽家勘朝は復活しました(笑)。会長職は残念ながらまだ禅譲いたしません。関係者の皆様、会長不在の3年間どうもありがとうございました。
高座の復活はまだ先でしょうが、日記と共に復活しました。
皆さんの困惑のタネが戻ってきました(笑)。大丈夫もう躁状態には戻りません。リバウンドが恐いですから。
ではまた明日。