あらかじめ申し上げますが、あくまでも個人的な意見です。
ご了承ください。
先日、図書館から借りてきて読んでいる、
「かなえキッチン事件」の裁判記録の本。
「毒婦」も「別海から来た女」も読んだけど、
やはり記録だけあって、この本が一番面白かった。
とにかく、すべてが嘘くさいのだ。売春の経歴さえも。
いったい、この女は、どうしたかったんだろうな。
一言で言えば、ぜいたくな暮らし、だろうね。
だけど、そのための努力の方向が間違っている。
その方向というのは、売春がどうのとか、そういうことではなくて、
自分のうその経歴を、本当のものにしなかった、ということである。
東京に出たいのなら、地元で窃盗などせず、地道に受験勉強して、
某栄養大学、その大学院に行けばよかったのだ。
それが無難だし、就職率だって、私の専攻に比べるとよっぽどいいはず。
でも、そんなことできたら、こういうことにはならなかっただろう。
あと、気になったのが「私は特別な存在」的発言が多いということ。
詭弁なのかもしれないが、幼少の環境を考えると、あながち本気なのかもしれない。
しかし、それは限定的なものであり、相対的なものであり、
決して、普遍的、絶対的なものではない。
「自分らしい生き方」「世界に一人しかいない大切な自分」、
今となってはもう死語だろうが、「自分探し」などなど、
人は「特別な自分」であり続けたかったのかもしれないが、
世間にポンっと、一人でおかれている自分は、1億2千万分の1、にすぎない。
自分やその狭い周辺でしか、「スペシャルな私」は存在しないのだと、
そんな彼女を、なんて自意識過剰なのだろうと、こう思うのだ。
その前に、「人のお金や命を奪うなんてとんでもない」という話があるが、
「特別な自分」を維持するためには、簡単に越えられるハードルだったのだろう。
その「特別な自分」に共感した女性が、
「かなえガールズ」となって、裁判の追っかけをするのである。
そういえば、私の仕事について聞かれたときに話をすると、
「いいなぁー、好きなこと仕事にできて。自分らしい仕事って感じですよね。」
と言うのは、たいてい女性。
うーん・・・。そうなのかな。