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「友だち」 ≒ 共同幻想

 小学校入学時によく歌われる歌

 ♪ ともだち百人出来るかな、百人で食べたいな~ ♪
 という大ウソ。

 ここは一番、こだまひびき師匠に登場してもらいたい。
 「そんなヤツおれへん。」
 そんな子どもを過去35年間の学校生活で見たことがない。
 自分の成育歴58年間で誰ひとり確認したことがない。

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 こうやって、子どもは教育(≒洗脳)されていく。間違いない。

 SNSの現状を観てると理解できる。

 身の回りには、ずれた周波数の者ばかり。
 家族でさえ、血肉を分けたこどもでさえ理解共感できるものは少ない。

 ともだちなんて要らない。
 と、はっきり言ってのける大人や老師がどれだけいるか。

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 経営も同じ。
 ともだち同士で前進している集団はない。ありえない。
 「ともだち」がそもそも集団に還元することがない。
 職員室も、マンション管理組合も、組事務所も、ママ友も、ネットも、SNSも、となり組も。

 ましてや経営が加味している(経済的側面がある)集団では、なおのこと。

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 会社経営で、無能なともだち100人より、有能なパート1人、の方が
 どれだけお客にとって利益還元できる集団か。

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 で、内浜落語会の現状。

 「ともだち」という愚かな関係はない。ほとんど排斥・斬り捨てた。
 
 お客さまにとって、最高のサービスを提供できる組織。
 ライブでは、公民館でも、甘棠館笑劇場でも、〇カルでも、ヒリヒリしている。
 そんな関係こそが、お客様を大切にしている。

 下手がでると(私を含めて)、2か月後必ず、2%お客様が減ってる。とても怖い現実。

 ドラッカー曰く
 「一番大切にしなければならないのは、お客様。」
 ともだちを大切にするというのは、サバイバルから落ちている。

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2014年11月20日 20:00に投稿されたエントリーのページです。

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