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『嵐の中の子どもたち』 ミュージカル

 年に1回ミュージカルを観る。好きで観るわけではない。
 年に1回子どもたち向けのミュージカルに招待される。その引率。
 子ども向けだけど、劇団四季。稽古はしっかりやっている。(2軍だけど。)

 今年の演目は『嵐の中の子どもたち』。
 名作『漂流教室』(梅図かずお夫作)に影響を受けている。内容は足もとにも及ばないが・・・。
 物語のデティールに問題がある。

 あらすじ
 「とある村で、大人が子どもたち18人を置いて出て行く。トラブル発生。子どもたちがいろんな危機をのり越えて、ハッピーエンド。そこで自治や、仲間や、助け合いを学ぶ。」
 たった3行で表せる。『友情』だの『仲間』だの、おしつけがましいが、無料だから仕方ない。

 で、この3行のどこに問題があるか。

 子どもたち18人。個性豊かでエキスパートもいればトラブルメーカーもいる。
 
 当然集団で行動すると異分子が出てくる。意見の衝突が出てくる。そこを役割分担しながら越えて行く。この役割分担が、ものの見事に性別役割分担。

 リーダー役二人の少年、男。
 発電所の修理担当、男。無線機の修理担当、男。
 料理担当、女。リーダーの衝突仲裁担当、女。
 機関車運転手、男。病人看護担当、女。
 集団が迷った時の知恵袋、教授と呼ばれる、男。
 吟遊詩人、男。
 文化財発見者、男。冒険者、男。

 これだけの、ステロタイプスタッフでも呆れるのに、次のようなセリフまで飛び出す。

 「さぁ明日も仕事だ。男は発電所の修理、建物の修理。女は洗濯、町の掃除だ!」
 おいおい、そこまで言うか。

 で、もっと問題なのが、果たして今日の引率教師が
 【この問題点に気付く感性を持っているか】
 比較的若い教師が多かったが、この劇の問題点を
 【明日の学級指導で子どもたちに伝えられるか】
 ここに絞られる。

 福岡市の若い教師たちが、映画『告白』に出てくる『ウェルテル』とかいうバカ教師でなければいいのだけど。

 子どもたちは、教師の、隠されたカリキュラム(ヒドゥンカリキュラム)の影響をもろに受ける。
 もちろん価値観が合わない、コンサーバティブな子どもたちもいる。でも、社会的弱者の側にいて、喘いでいる子どもたちは必ずいる。この子たちに目を向けられているか。
 ここにプロ教師の真骨頂がある。塾教師には真似できない教育理念がある。

 企画・演出=浅利慶太
 後援=文部科学省(官僚)
 こんな連中に任せているから文化芸術が全く面白くない。 

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2010年12月08日 20:40に投稿されたエントリーのページです。

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